ひとくち麺類

思った事を軽く書きます

冥福は誰のために祈るのか

麺類です。

Following(Followerではなかった、リムられているので)の同年代くらいのアカウントの人が亡くなったニュースを見て、

人は急に死ぬということを突きつけられたような気持ちになり、

出てきた言葉は「ご冥福をお祈りします」でした。

それ自体は平凡なリアクションではありましたけど。内心、じわじわ、効いていました。

冷たい話ですが故人を惜しいとかそういう事ではなかったんですよね、本当に絡み無くてほとんど知らん人状態なので。

 

Twitterではネタで「あんま絡みないけど誕生日おめでとう」と言い合う風習(局所的流行)がありますけど、

本当に絡みはなく一方的にFollowしているだけの関係、ましてや私は鍵アカウントなので伝わるようなものではない

何かといえば、自分の心を落ち着けるための言葉だったように思います。

 

「冥福を祈る」と言葉にすることで

なにか小さな安寧を自分の中に確保しているのかもしれない。

冥福を祈るのは自分自身の為なのかなと。

 

亡くなった人の冥に福はある方が、やっぱりいいんじゃないかなと思います。

まあ……

実際のところ嫌いな人には死後も多少は苦労はしてほしいなという気持ちもあるので相手にもよりますけどね。